「レンさん、昼休みどこに行ってました?」
声をかけられた瞬間、心臓がひときわ強く跳ねた。
小山千尋。同じ営業部の1つ下の後輩。
彼女の真っ直ぐな瞳に射抜かれ、言葉が詰まる。
やばい。さっきの買い出し……見られてた?
「え、えっと……ちょっと外に」
自分でも不自然だとわかる返事。額に嫌な汗がにじむ。
千尋が一歩近づいた。僕のデスクに手をついて、顔を覗き込む。
距離が近い。あんまり近いとシャツ越しに透ける赤色のブラが見えてしまう。
「な、なんでそんなこと聞くの」
思わず椅子から立ち上がり、後ろに下がった。背中が壁にぶつかり、逃げ場を失う。
「実は……私、今日は午前中、外回りに出てたんです。ちょうどお昼前に戻ってきたんですけど……さっき、レンさんにそっくりの女の子とすれ違ったんですよ」
その一言で、思考が一瞬で凍りついた。
――見られていた。
スカートを穿いた、あの事務服姿の僕を。
とにかく否定しなければ。もっともらしい言葉をひねり出すしかない。
「……そ、そんなに僕に似てたんだ」
「えぇ、驚くほどでした。思わず二度見しちゃって」
「そ、そうなんだ……。あ、もしかしたら僕の妹かもしれない。昔から似てるって言われてて……最近、近くの会社に転職したんだって……。だからきっとあいつとすれ違ったんだよ」
「妹さん……?」
千尋の眉がかすかに寄る。
「そ、そう。あ、ちょっと書類確認しなきゃ……!」
早口で言い訳を並べ、デスクのファイルを掴むと、そのまま逃げるように席を離れた。
背後に残る千尋の視線が痛い。足がもつれそうになりながら逃げる様に男子トイレに飛び込むと、鏡に映る自分の顔は真っ赤だった。
◆
釈然としない表情で立ち尽くす千尋。その姿を、別の視線がじっと見つめていた。
真帆だ。
彼女は机から立ち上がり、さりげなく千尋に近づく。
「千尋ちゃん、ちょっといい?」
「え? はい」
「さっきレンくんに話してたでしょ? 私も聞こえちゃったんだけど」
真帆は声を落とし、秘密を共有するように囁いた。
「……妹さんの話ですよね?」
千尋は遠慮がちに答える。
「ふふ。レンくん、妹なんていないよ」
真帆の笑みは柔らかいのに、妙な迫力があった。
「え……?」
千尋の瞳が揺れる。
「さっき千尋ちゃんが見たのは、間違いなくレンくん本人。彼、女装してたの」
「じょ、女装……?」
千尋は一瞬で頬を染め、信じられないものを聞いたように口を押さえた。
「驚いたよね。でもね、レンくんはずっと女の子になりたいって思ってるの。だけど自分からカミングアウトはできない。だから隙を見つけては、こっそり女の子になってるんだよ」
「そ、そんな……初耳です」
「そんな事、簡単に人に言えないよね。でもね、彼は純粋に女の子になりたいだけ。からかわれたりしたら傷ついちゃう。だからね、直接聞いても絶対に否定すると思う。でも、同じ部署の千尋ちゃんなら、彼を支えてあげられるんじゃないかな」
真帆は穏やかな声で続ける。
「レンくんにとって、千尋ちゃんは直属の後輩でしょ?支えてあげてほしいの。表立ってじゃなくていい。陰ながらでいいから」
その言葉に、千尋の瞳が大きく開かれた。
「……私が、支える……」
「うん。千尋ちゃんならできるよ」
千尋はしばし黙り込み、やがて小さく頷いた。
「……わかりました。お世話になってる先輩ですし……私、レンさんの力になりたいです」
「いい子だね。何かあったら相談してね」
真帆は満足そうに微笑んだ。その笑みの奥で、目が鋭く光った。
◆
少し離れたコピー機の陰で、そのやりとりを見ていたのは瑠衣だった。
真帆と千尋の会話を一部始終聞きながら、口元に指を当てて考える。
(なるほど……千尋ちゃん、素直で信じやすい子。これは使える。真帆もそれを知ってて、あんな事を吹き込んだのね……)
千尋はまだ何も知らない。レンが無理やり女装させられていることも、本当は必死に抵抗していることも。
だが“自分が支えなきゃ”という思い込みに捕らわれれば、自然とこっち側の味方になっていく。
瑠衣の胸にひらめきが走った。
◆
自分のデスクに戻った千尋は、手を止めたままパソコンの画面をじっと見つめていた。
胸の奥でざわつく感情は、まだ言葉にできない。
入社したばかりで右も左も分からなかった頃、隣に立ち、営業先での立ち振る舞いを教えてくれた、頼れる先輩。その人が、誰にも打ち明けられない秘密を抱えていたなんて。
息を呑み、唇をきゅっと結ぶ。
尊敬する先輩だからこそ、私が支えなきゃ。
その決意が、胸の奥で静かに、しかし確かに固く結ばれていった。
その決意を遠巻きに見ていた瑠衣と真帆。
二人は目を合わせ、静かに笑みを交わした。
(――千尋も、これで完全に巻き込める)
【7章へつづく…】
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